元駐リトアニア大使・重枝豊英氏が講演

東京都新宿区の会場で11月27日、UPF主催の「UPF-Japan勉強会」が行われ、若手スタッフを中心に25人が参加しました。勉強会は、国連と連携しながら民間の立場で平和構築と国際連携のための活動を推進する国際NGOとして、国際協力や人道支援のあり方について見聞を広めるために企画されたものです。

今回は元駐リトアニア特命全権大使の重枝豊英氏(=写真下)を講師として招き、「杉原千畝氏に学ぶ国際交流の真髄―『民間外交官』としてのNGOの役割―」と題してご講演いただきました。

重枝氏は冒頭、杉原千畝の生い立ちについて触れながら、外務省入省後に満州やフィンランドで勤務し、1939年にリトアニアの在カウナス日本領事館領事代理として着任するまでの経緯を紹介しました。また、重枝氏はリトアニアの国柄についても紹介。国民の多くが、明治維新の頃や日本の精神文化に関心が高く、日本人の律儀さ、勤勉さ、協調性の高さについても敬意を抱いていると述べました。

1939年、ドイツがポーランド西部に侵攻し、第二次世界大戦が勃発。翌40年には、ドイツ占領下のポーランドからリトアニアに逃亡してきた多くのユダヤ系難民などが各国の領事館・大使館からビザを取得しようとしていました。しかし、当時リトアニアを占領していたソ連は、各国に在リトアニア領事館・大使館の閉鎖を求めたため、ユダヤ難民たちは、まだ業務を続けていた日本領事館に名目上の行き先への通過ビザを求めて殺到しました。

「正規の手続きができない者に、ビザを出してはいけない」という本省の訓令を受け、悩んだ千畝でしたが、最終的には「人道上、どうしても拒否できない」という理由で、受給要件を満たしていない者に対しても独断でビザを発給しました。

戦後、千畝はソ連の収容所から帰国を果たしたものの、政府からの指示に従わなかったことなどを理由として外務省から辞職を余儀なくされました。しかし、困難な状況であっても力の限りビザを発給し、ユダヤ人を救おうとした杉原氏の勇気と人道的な行いはその後、再評価され、「日本のシンドラー」と呼ばれるようになりました。発給したビザは2139通にのぼり、「命のビザ」によって救われたユダヤ人の数は、少なくとも6000人に上ると言われています。

重枝氏はこうした数々の功績を紹介するとともに、現在の日本が千畝の人道主義、博愛主義に基づいた行動に学ぶべきことは多いと語りました。

さらに、これからの日本が多くの外国人を迎え入れ、「内なる国際化」を進めざるを得ないなかで、日本人は自らのアイデンティディをしっかりと持たなければならないと強調。千畝の精神をはじめ、日本の精神性や文化がこれからの若者に受け継がれ、発信されていくことで、日本の中に真の平和と多文化共生社会が実現するのではないかと訴えかけました。

そのうえで、日本の国際化について政府でできる外交努力は限られており、UPFなど、民間NGOの果たす役割が今後ますます重要になってくると述べました。

講演後の質疑応答では、参加者から重枝氏に活発な質問が寄せられました。