壱岐で遭難した大韓民国人犠牲者の供養続ける西谷德道住職が講演

宗教者平和大使協議会・IAPD-Japan主催の第115回超宗教フォーラムが8月19日、全国各所をオンラインで接続して開催され、神道、仏教、イスラーム、キリスト教を代表する宗教者平和大使、有識者ら約80人が参加しました。

IAPD-Japanコーディネーターの石丸志信・世界平和宗教連合会長による開会宣言のあと、開会の祈りとして天の岩座神宮・奈良泰秀宮司が祝詞を奏上しました。続いて主催者を代表して梶栗正義・UPF-Japan議長が挨拶に立ち、次のように語りました。

UPFは中東平和イニシアチブと並んで2011年より北東アジア平和イニシアチブに取り組んでいます。その一環として本年より「シンクタンク2022」を出帆させ、朝鮮半島の平和的統一に向けて本格的な議論を世界中で進めています。半島の平和統一は世界平和への試金石であるため、政界、学術界、経済界、言論界などの専門性を生かした具体的な方案を探る国際指導者会議(ILC)を各圏域で開催しています。本フォーラムもその一つのIAPDセッションに位置づけられます。宗教者が、日韓友好を基として引き裂かれた人々の心を紡ぎ、祈りの連携で平和実現をなそうと呼びかけるものとなることを期待します。

続いて、長崎県壱岐市にある天德寺住職の西谷德道師が、「日韓友好の絆~壱岐の殉難者追悼の歴史~」と題して基調講演をしました。

1945年10月11日未明、大型台風の接近に伴い、長崎県壱岐市の芦辺港に緊急避難した客船が台風による激しい突風と波にあおられ大破しました。乗っていたのは韓国への帰国者。壱岐住民の救援活動もむなしく、168人が死亡、その他多数の方が行方不明となりました。天德寺の先代住職らが殉難者を埋葬し法要。その以降、毎年慰霊祭を続け、1983年からは現住職が継承してきました。1967年には島の消防団有志により「大韓民国人慰霊碑」が建立されました。1998年からは、韓国慶州の佛國寺、水谷寺と「大韓民国人長崎県壱岐市芦辺港遭難者日韓合同慰霊祭」を交互に開催するようになり、日韓の友好を深めています。

この出来事が韓国のテレビのドキュメンタリー番組で取り上げられたとき、あたかも壱岐住民が見殺しにしたかのように報じられたのに衝撃を受けた西谷住職は、歴史を徹底的に調べ、当時を知る生存者を探しました。そのかいがあって、生存者のご子息が奇跡的に見つかり、父親から聞いていたことを証言してくれたおかげで、すべての誤解が解かれました。

西谷住職はこうした経緯に触れながら、自身が紡いできた日韓の絆の大切さを強調するとともに、犠牲者の遺骨が韓国に無事返還されることを願っていると述べました。

講演後、3人の宗教者メッセージがありました。長崎朝鮮人被爆者追悼を行った国平寺・尹碧厳住職、軍人として極東アジアの平和のために奉仕した経験を持つChristian Ministries Far East-Japan Worship Centerのチャールズ・ホール牧師、広島の被爆者のための慰霊と平和活動を実践している聴行庵・東和空住職。それぞれの立場で平和への思いを語りました。

次に、西谷住職と仏教、イスラーム、キリスト教代表者が「追悼と平和への祈り」を捧げました。最後に賛美歌「さあ共に生きよう」が捧げられました。

参加者は最後に、UPF創設時の文鮮明総裁の基調講演文(「神様のみ旨から見た環太平洋時代の史観Ⅰ」=2007年9月23日)を読み、UPFのビジョンを共有しました。